東洋と西洋とグルジアと孤独

高い天井から吊るされたヨーロッパ調のシャンデリアを私はじっと見つめている。部屋のランプは付けず、夕方から日が落ちて空の色が青から紺へと暗く変わっていく様を薄暗い部屋の中でただただ感じている。

クイーンサイズのベッドは心地よく、壁にはアール・ヌーヴォ風の絵画がかかっている。ヨーロッパの迎賓館のような調度品で溢れたこの部屋は民泊のウェブ・サービスを利用してフロアを丸々借りている。カーテンがほのかに街灯をぼやかし、部屋がオレンジ色に染まっている。

外から景色を眺めれば、紺色の夜空の向こうに見える山には灯りが灯り、人々の生活が感じられる。ワインで有名なこの国だからこそ、金曜日の夜ということもありパーティで賑わっているのであろう。石畳の坂道も、バルコニーに葡萄の蔦が絡みつく様子も、当たり前のように道端に存在している彫刻も、何もかもが美しく感じられる。

私は今孤独を感じている。

三日前まで一週間ほど滞在していたアゼルバイジャンのバクーの街では、イスラム国家であるためか女性は保守的であったがが、同性はひたすらに陽気であり、人懐っこいものであった。すれ違う人々のうち10人目が合えば2人から3人ほどはウインクなり軽い挨拶の交流が生まれる。カスピ海より東の国々同様、アジア人自体が珍しいのである。数時間街を散歩すれば実に100回ほどは軽い交流が生まれ、心が高揚した。これぞ旅の醍醐味である。

ここジョージアではどうだろうか。3時間ほど歩いてみて、実際ほとんど誰とも目が合わない。これは単純に人をあまりまじまじ見つめない文化なのかもしれない。実際、中国のように人を凝視する文化や、それが失礼にあたらない文化は好きではない。しかし、旅行中の身分にとってはそれが人との交流に繋がり、嬉しかった。

首都のトビリシに限った話なのかもしれないが、人や文化・風習が欧米的で洗練されており、個人主義であり他者に干渉しない文化なのである。これは私がジョージアに対して勝手に抱いていた想像とは異なるものであった。

小さい頃から図書館にいることが少なくなかった私は、グルジアの写真集を時々眺めていた。それは単純に名前の響きに憧れていただけだったのかもしれないが、東欧や西アジア地域など、あまり知られていない地域とその風景にそこはかとない魅力を感じていた。それから20年ほど経ち、実際に訪れてみたこの国は、国際的な呼称をロシア読みから英語読みへとを変更しており、実際人々の顔立ちや都市景観も欧米的であった。

アゼルバイジャンも街並みそのものはこれ以上ないほどにヨーロッパ的であったが、そこに生きる人々は確実にアジア的であった。それに対して、ジョージアは人々自体が欧米的である。ロンドンやベルリンのような個人主義を感じる。

ジョージアの人が冷たいなどと言いたいわけではなく、これが本来普通なのである。旅人だから物珍しげに見られたい、歓迎を受けたいなどといえばそれこそ傲慢である。よく言えば浮ついていない、ちゃんと落ち着いた街である。私が勝手に妙な先入観を抱いていただけであり、前の国とのギャップに驚いた、ただそれだけなのである。

あとがき

普段からあまり自ら進んで文章を発信しないが、本来文章を書くことが好きである。あえてキザな文体にこだわって書いてみているが、後々読んで恥ずかしくなるような文章であれば、それはそれで楽しみでもある。毎日文章を書く習慣が思考によい影響を与えているように感じるため、今後も何かしらの形で続けたい。

話は遡ること6年前の初夏、台湾の台中から高雄へ向かうバスの中で90歳近いと見られる女性と話し込んだことがある。彼女の日本語は大変に流暢であり、まるで大正時代を思わせるような、古い小説の中でしか見られないような言葉遣いをする点が大変印象的であった。戦前に日常の中で使用していた日本語が、日本の統治下を離れた国において彼女の中に生き続け、保存されているのである。

私はここ8年ほど日本で生活をしておらず、厳密な意味では彼女に近いものがあるのかもしれない。ことばは生き物であり、日本国内で変わり続ける日本語とはある程度の距離が生まれているのかもしれないが、私自身はそれを自覚しづらい。まとまりのない駄文ながら、読んでいただいている方には心より感謝したい。